カートゥーン100年史を完全解説する試みwiki - アニメーション頌
アニメーション頌

 ブーローニュの森を走る4輪馬車の中で、セルゲイ・ド・ディアギレフはジャン・コクトーに言った。

「僕を驚かせてみろ!」
 展覧会の特別招待日に、ルイ・パストゥールはオディロン・ルドンに叫んだ。

「あなたの怪物は生きている!」
 ジャンナルベルト・ベンダッツィはこの本でアニメーションの変遷を年代順にたどり、アニメーションと近縁のヴィジュアル・アートの相似点を特に強調している。私としてはいくつかの考察をおこなうだけにとどめよう。

 すべての動物の中で、自己の記録を打ち破るために進んで自分に試錬を与えるのは、おそらく人間だけだろう(柵を超えようとしてジャンプのトレーニングに励む鹿を見た者がいるだろうか?)。そう、人間の本質はチャレンジャーなのだ! 記録が塗り変えられる度に、それは新たな挑戦状を自分自身に突きつけることになる。

 このことを自覚していた古代の人々は、オリンピック競技を組織した。さらに、この時代は神話という形で実際にはいない英雄の偉業を創作し、将来の世代に挑戦した。

 現代でもイカロスの中に自画像を見出す人はいる。しかし、泥土で人間の似姿を型取り、それに生命を吹き込んだプロメテウスの姿に注目する人はいない。

 さて、アルタミラの洞窟画からバルラの油絵にいたるまで、絵画は“生きた”形を創造しようとしてきた。だが、これは運動の表現にまでは到達できす、ただ“運動の概念”を表現するのがせいぜいだった。

 15世紀イタリアの画家たちは、透視図法を使って2次元のイメージに3番目のイリュージョン(奥行き)を導入した。しかし、2次元のイメージ(既に透視図法は使用済なので)が4番目の次元を獲得するには、19世紀末まで待たねばならなかった。それがすなわち運動(虚構でも、目に見える形の)である。おりしも、人が空を飛べるようになる直前であった。

 それが生まれたのは1892年のパリ——シネマトグラフ上映の3年前だった。このプロメテウスは名をエミール・レイノーと言い、その発明の真の意味を理解したものは一人もいなかった。あたかもH・G・ウェルズが「あまりに奇抜で偉大なことはだれにも理解できない」と断言したように。

 エミール・レイノー以後に、生きたイメージを作り出すことに成功した人間が何人かいた。しかし誰も驚かなかった。その理由は何だろうか? “アニメーションフィルム”は1つ、いや2つの誤解の犠牲になったのだ。1つは漫画映画と混同されたことであり(飛行機を凧と一緒にするようなものだ)、2つ目はアニメを「映画」の一種と見なしたことだ。相手は動く絵画・スケッチ・版画・彫刻などであるというのに(油絵を写真の一種だと考える人がいるだろうか?)。

 “アニメーション”と“映画”との混同は、1895年パリでリュミエール兄弟がシネマトグラフを初めて上映した日に遡る。だが、すでに1892年の時点からエミール・レイノーはグレヴァン館で“テアトル・オプティーク”(光の劇場)を上映していた。レイノーの映像は全て手描きだった。レイノーの特許が“映画”の発明をカバーしていたのは確実である。しかし、レイノーにはリュミエール兄弟を告訴する(そして勝訴する)資金がなかった。事実関係はともかく、映画をアニメーションの特殊なケースとして考える方が論理に適っている。映画はいわば商売として安上がりの代用品であり、エミール・レイノーのような芸術家が精根を傾けた作品を、生きた人間を写した写真にすり替えたものである。

 思い出してほしいが、写真それ自体もつい最近の発明なのだ。そうすると、写真も芸術ではないことがおわかりだろう。その当時、さらにずっと後になってさえ、写真家たちは画家のように“レンブラント”帽子や“ラヴァリエール”ネクタイ[大型の蝶ネクタイ]を身につけて、“芸術家”気取りだったのだ。ナダールは自分がマネの近くにいると考えていた。確かに、馬の絵を描く職人がいるのと同じように、“芸術的な”写真を撮ることもできる。だが、写真家(例えばナダール)の作品と絵画の間には本質的な違いがある。ナダールはモデルの選択などは行なったが、マネのように意味や形を考慮してディテール全体の中から“無関係な”ディテールをふるいにかけることはしなかった。マネの関心は“自然”ではなく、その自然から得られる理念だったのだ。

 大衆が写真を初めて見た時の素朴な反応を思い出さねばならない。“あらゆる細部”がそのまま機械的に複製されているのを見て、彼らが興奮のあまり叫ぶ様子を想像してみよう。「ほら、ママの指に指輪があるよ、パパの鼻にはいぽがあるし、皿にはハエも…」 芸術作品というものが全くわかっていないこのような態度に、私はどう驚いてみせればよいのか? 今でさえ同じように素朴な発言はあるというのに。

 映画第1作『ラ・シオタ駅への列車の到着』L'arrive du train a La Ciotatを見た人々はこうして驚いたのだ。「本物の列車だ!」と(本物…写真は“本物”なのだから)。ここから生じた問題はいまだに解決されていない。現実とは何か?“客観的現実”とはどんな意味なのか? 他でも論じたことがあるが、写真の単眼的な平面イメージと人間の複眼的知覚の間には、全く関連性がない。両者に共通するのは次の言葉のような関係だけだ。「ハエもいる…」(これは誤りで、しかも悲しいまでに愚かな関係である。ハエがいるのはただの偶然なのだから。芸術では1つも無駄がないのに、写真ではほとんど全部が余計な要素なのだ)。

 こうして、リュミエール兄弟のシネマトグラフはエミール・レイノーのアニメーションを簡単におおい隠してしまった。この工業製品はずっと安上がりなことがわかったので、血と汗の結晶をあっけなく打ち負かした。写真を使った“映画”が出現した結果、エミール・コールの漫画映画は“映画”のための映写機を備え付けた会場で公開されるだけになり(注2)、“映画”フィルムの1バリエーションとして(確かに奇妙な変種ではある)、ただしあくまで“映画”の1つとして位置付けられることになった。かくしてアニメーションの位置付けに関する2つの誤りが1つに合体してしまったのだ。

 コールのアニメーションが“映画”の特殊ケースということになれば、レイノーの作品も別の形で生き延ぴることになる。多くの才能ある人々が数多くのアニメーションを制作したが、これは映画館の中で上映するためのものであり、“スタンダード”サイズで撮影され、スピードも“スタンダート=標準”の毎秒24コマだった。一言で言えば、映画の兄が末弟の役を受け入れることになったのだ。だが、アニメーターは、画家である以前に発明家だったレイノーの性格をまったく受け継がなかった。また、新しい偉大な芸術への使命に燃えた芸術家は(その大部分はヨーロッパ人だった)非商業的なアニメーションを作ろうと考えて“デッサン・アニメ”に取り組んだのだが、これは実写映画との生存競争に勝ち残るために流れ作業で生産される商業的カリカチュアと何ら変わりないものだった。しかし、アニメーションは個人制作に適した新しいテクニックをだんだん開発していった。20年代以降にこのようなアニメ作家の作品が知られるようになり、大衆も“アニメーション”という“生まれたばかりの”動く造形芸術が存在することを知りはじめた。

 ところで、特許請求が出されたときには要求項目のリストを加えるのが慣例である。ちょうど、金脈の独占開発権を要求する申し立てのときに“請求権”を加えるように。そして、特許の“請求権”の数が多いほど、その発明は重要なのだ。

 だが、アニメーションの“請求権”、つまり多様な可能性そのものがアニメーションの定義を難しくする。アニメーションという新しき葡萄酒を、映画・画廊・テレピ・美術館といった古き革袋にどうやって入れろというのだろうか?

 映画監督はアニメーションと劇場用の実写映画の間に関連を認めない(映画の観客の目当ては広告や雑誌がもちあげるスターなのだ)。テレビの編成担当はフィクションであるアニメーションに、現実の出来事(戴冠式、革命、逮捕、等々)を瞬時にしかもありのままに再現する力を(これこそがテレビの根本的な使命なのだろうが)認めない。画商は(たとえ真剣だったとしても)“サイン”をさがしたあげく、こう質問するだろう。「どこに“オリジナル作品”はあるのですか?」と(注3)。ノーと答えるしかない! コレクターや画商は“フィクション”を売買しない! 彼らにとっては、サイズ(時には重量さえも)を計ることのできる“物質的財産”だけが問題なのだ!

 一方、美術館のディレクターであるが、彼らはアニメーションをオモチャと同じだと思っている(その上美術館には映写機がない。というのは、電気あるところ、火災の危険ありだから…)

 もっと説明に苦しむのは、例えばパリ芸術工芸美術館のような自動機械のコレクションにアニメーションが入っていないことだ。

 アニメーションが必要としている普及手段を、ビデオカセットがもたらしてくれると期待してもよいのだろうか?(注4)

 結局、アニメーションの「請求権」とは何だろうか?

 アニメーション頌をおこなう前に、我々は宣言しよう。50年後、あるいは150年後の社会で、一般大衆の価値観に変化が起こるだろう。

 操り人形や天才象、音楽を鳴らす煙草入れ、ヴォーカンソン[フランスの伝説的な自動機械制作家]の機械じかけのアヒル——これはエサを食ベ、消化して排泄した——に大衆が手もなく驚かされたとしても、それは大衆自身でそうなることを望んでいたからだ。たぶん、現代の大衆もナイーヴさという点では五十歩百歩だろう。しかし、彼らの望みは自分が“通である”と思われることだ。だから、私がアニメーション頌をおこなうときには、“奇跡”や“魔術”といった古臭い表現には気をつけなければならないだろう。

 これから私はアニメーション頌をおこなう。純粋な精神の作品としてのアニメーションについて。

 アニメーションには多くの技法があるが、どんな方法にせよ、それは“フレーム・バイ・フレーム”の運動創造方法である。だが、“創造“という言葉は明らかに行き過ぎである。なぜなら、人問は何も(鉱物も植物も動物も)創造することはできないからだ。この言葉はすでに存在するものの操作やアレンジを意味することも多い。例えば実写映画のケースがこれにあたる。映画の演出家が選択するのは、俳優やポーズ、身振り、照明、構図などである。これでは選択の幅が狭すぎて、演出家の創造意志にはとても応じ切れないのではないだろうか。

 とにかく最善をつくして選択や配置をした後は、その構成要素が最終結果までそのまま残ることになる。演出家は分析によってこれを意識することもなく、また観客にはなおさらそれは不可能である。

 かくして、実写映画は簡単に、てっとりばやく、しかも大量に作ることができる——半世紀にもわたって量とスピードにとりつかれてきた映画に、これ以上何を望むことができるだろうか? 製作者たちの方がこのような考えだとしたら、大衆の考えも同様なのだろうか? 大衆の考えほど不確かなものはない。映画の動員数は年々滅りつづけているが、これは新手の競争相手であるテレビのせいだと言われている。この説明で十分だろうか? ヴァイオレンス映画やポルノ映画の流行についてはどう考えるべきだろうか?

 映画においては、大衆の興味を引くためならどんな手段でも正当化されるようだ。ポルノグラフィーの波に先立って、ワイドスクリーンや様々な“…ラマ”や円周スクリーンといった、今やほとんど見向きもされないありとあらゆる技術が開発された20年間があったことを思い起こそう。そうすれば、新しい関心が底をついたことに映画産業は気づいているという結論が導き出される。かつては大衆の心をとらえていた映画だが、今や食傷気味で無関心になった彼らを引きつけるようなものをもはや見出すことができていないのだ。

 ヒットした映画をチェックしてみれば、ヴァイオレンスやポルノを除けば、海中撮影や火山の噴火のような(要するに大衆の関心を引くような)変わった題材であることを指摘することができる。そして、機関銃やヌードに飽きる日が遠くないこともすでに明らかである。一言で言えば、実写映画のレパートリーは限定されており、干上がる寸前なのだ。打ち破られるドアやカーチェイス、銃士やカウボーイの衣装、ベルモンドのアッパーカットや男女の体つきなどは、結局のところ、ほとんど変りばえしないものなのだ。

 実写映画とは対照的に、アニメーターが作品を作リ出す原料はただ一つ、人間の思考——様々な人々が物事や生物、その形態・運動・意味などから生み出した思考——だけである。彼らはこの思考を手作りのイメージによって表現する。アニメーターが練り上げたイメージは意図に基づいて連結されており、偶然の要素はない。したがって、作品制作には極めて長い時間がかかることになる。これは実写映画の比ではない。しかし、人間の思考のレパートリーは汲み尽くされることはない!

 私の世代のアニメーターにとって、このスローぺースは重大なハンディキャップだった。即刻収益をあげろという無理な注文のせいで、アニメーションフィルムは配給ルートからはすれていた。しかし、時代は変わり、余暇の進歩が過去半世紀のむやみな性急さ(無分別な過剰生産)を時代遅れの遺物に変えた。こうして、会社をスピード至上主義に縛り付けていた経済性が、今度は経営者を改心させ、本当に重要な行為——発見や発明のような——と営利性とは常に無縁であることを理解させた。では、発明ではない芸術作品とは何なのだろうか? そのような作品は何と呼ばれるのだろう? コピー、それとも剽窃だろうか?

 50年間、版画・イラストとアニメーションを交互にやって来たことで、私はグーテンベルクの(静的)出版文化と(動的)現代文化の、それぞれの価値を学んできた。後者は決して前者にとってかわらないし、その反対も同様だ。二者は補完しあっているので、比較することも代替させることも不可能であり、互いに対極にある精神の歩みを表現していくことであろう。

 芸術家にとって、アニメーションは全く新しい規律を提示する。まずはモラルだ。馬の画家がいつかは売れるだろうなどと期待して、紙ホルダーに入った数枚のクロッキーを後生大事に握りしめるという図は、アニメーターには無縁である。12分のフィルムには約1万6千枚の絵が含まれている。最高の巨匠が一生かかってもそれだけの絵を制作しただろうか? そういうわけで、アニメーターには“ボヘミアンの暮らし”を送る暇はない。

 イラストを制作するとき、私は最も効果的な安定したポーズを追求する。私は難しいアングルや不快な短縮法を避ける。フィルムをアニメートするとき、私は運動法則に従い、途中の段階を1つも省略することはできない。画家が免除されるものを私は研究する必要がある。つまり、光学や生理光学、心理学、視覚認識の神経心理学(申し訳ないが、こういう名称なのだ)、感度測定学、音楽(後は忘れてしまった)を理解しなければならない。

 複合振り子をアニメートして抽象図形をトレースしているとき、私は初等物理学を復習することになった。さらに、メカニズムはわからないのだが、人間が動体を認識するときに、その動くスピードに応じて(私はこれを“観察スピード”と名付けた)3つのやり方があることを知った。この観察モードの種類は、“トータライズ”されて透明に輝く円盤として認識される飛行機のプロペラ、目では動きをとらえられない月(しかし、長時間露出すれば“トータライズ”可能である)、そして最後に、おなじみの視覚、つまり物体の形と運動の認識である(これも写真で“トータライズ”可能だ)。

 “トータリザシオン”はスピードと形の認識が相対的であることを教えてくれた。アニメーションは人間の視覚や思考をより深く理解させてくれると断言できる。アニメーションは私をまさしく4次元につれていってくれる。未知の世界が開かれて、新しい効果を実現することができるようになるのだ。

 絵画が色彩やヴァルール、フォルムに対する意識を発達させたように、アニメーションは運動や時間に対する意識を発達させる。私は自宅の小さな庭で、菩提樹の茂みによって散乱した数千の太陽光線のきらめきを観察して甘美な時間を過ごす。ほんの僅かなそよ風でもこの光の饗宴に影響するのだが、アニメーションを作らない者はそれに気づくことがないだろう。

 しかし、若者はもはやアニメーションフィルムを見るだけに飽きたらない。彼らは自ら制作をおこなう。当然だ! 将来、この若い世代が社会経済を改革して、ペギーの母親が言ったように、「立派な作品です」と称えられるような時代がくることを祈る。

 チャレンジしたまえ!



1,〈原注〉ジャンナルベルト・ベンダッツィ著『ミッキーマウス以後。1888年から今日までのアニメーション映画』Topolino e poi. Cinema d'Animazione dal 1888 ai giorni nostri(Milano, Il formichiere, 1978)のためにアレクセイエフが書いた序文。執筆は1973年。

2.コール(1857〜1938)の第1作『ファンタスマゴリー』Fantasmagorieの制作は1908年である。

3.〈原注〉アニメーターにとっての“オリジナル作品”は、第1にスクリーン上の動きである。これとは対照的に、“実写映画”は現実の出来事をフォトメカニックに分解し、スクリーン上でこの分解を再合成して、見た通りのものを再現する。

4.〈原注〉何故なら、自宅で30回見返すために長編映画を購入する人間がいるだろうか?

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